西洋占星術の誕生と歴史(メソポタミア〜ヨーロッパへ拡大〜現代へ)

投稿日:2022年4月24日 | 最終更新日:2024年8月31日

西洋占星術とは、人が生まれた時や何かをする時、何かを始める時に、その年月日・時間で作成したホロスコープ(天体の位置関係を表す図)を読み解いていく学問(術)である。星占い(12星座占い)の原型となるもので、主に太陽系の10天体を使って総合的に占っていく。(一般的に普及している星占い/12星座占いは太陽のみを使った占いである)

西洋占星術の歴史

紀元前30世紀:古代占星術の誕生

  • 紀元前30世紀(約5,000年前)
  • 場所:中東アジアのメソポタミア文明圏(南部バビロニア地方)
  • 使用者:バビロニア、アッシリアの民族

西洋占星術の原型が誕生したのは約5,000年前。シュメールというメソポタミア文明圏の南部バビロニア地方で始まった。チグリス・ユーフラテス川の流域に興亡したバビロニア、アッシリアの民族により誕生。太陽と月+5惑星(水星、金星、火星、木星、土星)の観察と、天体を崇拝する宗教とを組み合わせて考案したのが起源である。洪水、暴風といった災害や、不作、病気、死といった自然界と人間界の異変を天体の連行で占った。

紀元前612年:現在に通じる占星術へと発展

  • 紀元前612年
  • 場所:全メソポタミアにまたがるカルデア王国(首都バビロン)
  • 使用者:カルデア人

紀元前612年。チグリス・ユーフラテス川の下流の遊牧民だったカルデア人が築いた王国によって、初めて現在に通じる占星術の体系が作られた。元々カルデア人は遊牧民だったときから、太陽、月、惑星の観測を肉眼で行っていた。数学に優れていたカルデア人は計測機や望遠鏡がなくても観測を行うことが出来た。そんなカルデア人が築いたカルデア王国によって占星術は大きく発展することとなった。

その後は約1,700年前にギリシャの天文学者クロディアス・プトレマイオスによって深く研究され、西洋占星術の基盤が完成した。
なお、インドで伝わった占星術は「インド占星術」。アジア・中国経由で伝わった占星術は宿曜占星術(東洋占星術)となる。

14世紀:ヨーロッパ全土の王族に広まる

  • 14世紀
  • ヨーロッパ全土
  • 主な使用者:王侯、貴族

太陽国を守り発展させる秘術として一部の人にしか使われていなかったが、その後ジプシーによりエジプトからギリシャ・ローマ・アラビア、中世ヨーロッパへと伝えられた。ヨーロッパの王侯や貴族は高名な占星術師をかかえるようになる。政治、外交、天変地異や戦争、自身の運命を占わせていた。それは現在も続いている。

17世紀:ヨーロッパ全土の一般大衆に広まる

  • 17〜19世紀
  • ヨーロッパ全土
  • 主な使用者:王侯、貴族、一般市

17世紀になるとドイツの天文学者・数学者のケプラー登場。占星術はヨーロッパの王侯、貴族から一般大衆へと急速に浸透した。知識人や文豪の間にも広まり、占星術の信者が続出した。ケプラーがドイツの天文学者・占星術者だったことから、19世紀まではドイツが世界的な占星術の主流だった。

20世紀:占星術はドイツからイギリスへ

17〜19世紀まで世界の占星術の主流だったドイツが、20世紀の第一次世界大戦をきっかけに占星術師を追放。占星術はイギリスへと移行することとなった。ドイツ皇帝ウィルヘルム二世は戦局悪化におよんで、ドイツにとって不都合な予言をする占星術師をすべて追放。第二次世界大戦では、ナチス・ドイツ総統がベルリン陥落を予言するすべての占星術師や書籍を憎んだ。その結果、側近の顧問占星術師まで死罪と追放に処することとなった。

20世紀〜現在:イギリスにより正統占星術として更に発展

20世紀は正統占星術が完全にイギリスに移った。近代の占星術の祖とされるウィリアム・リリー、現代の占星術の基礎を作ったアラン・レオにより、占星術は更に発展する。この頃にはアメリカでも占星術師が現れ始める。1970年には日本に上陸し、現在に至る。